2007年06月10日

シニモノグルイ その1

僕がその時乗っていたのは、いつもの京王線ではなくて東横線だった。
もうすでにその頃は慢性的な厭世観に襲われていることが常だった。と言っても、そこらの知識人たちの言う思春期の多感性からくるそれとは、決定的に違うものだったけれど。世の中を敬遠するという行為にすら、僕はうんざりしていたのだ。
ふと車内の中刷り広告に目を奪われる。卑猥な文字列と下種な謳い文句が目印の、ごくごく一般的な週刊誌の宣伝。それにいかほどの価値があるのか疑わしかったが、僕を最も嫌な気分にさせたのはその中の一行だった。
―また中学生が自殺 動機見当たらずー
それは、僕が中学生であったからではない。むしろ、その被害者が“すでに”中学生であったからこそ僕はその事実を受け流すことが出来たと言える。
僕は幼い頃からモノの死が判った。
より正確に言うならば、知覚することが出来たと言うべきだろうか。僕には人に死をもたらす“モノ”が見えたのだ。勿論、自分以外の人には見えないというのはすでにわかっていた。「死ぬ」事に皆が驚いているからだった。もし自分と同じならば何も驚くことはない。
“モノ”というと語弊があるかもしれない。ただ、存在していることは確かなのだ。
実体は半透明で流動性があり、色合い的にはポリエステルのゴミ袋といった感じで、ヘドロやアメーバのように何か粘性を感じるもので出来ている。それが漂うところには、真夏の道路の上の蜃気楼よりははっきりと、でも海に浮かぶクラゲの姿よりはぼんやりと、境界線が浮かび上がっている。人間で言うところの目の辺りにはペットボトルの蓋ぐらいの穴が二つ開いており、口の辺りには爪楊枝みたいな裂け目が一つある。その裂け目が空気の振動具合によって寄生主を嘲笑するかのように見える。
それはこの世界における生命を持つありとあらゆるものにくっついている。犬でも、鳥でも、人間ですら例外でなく。その生命体の頭部よりやや小さめの違和感が、うなじのしたあたりにあるのだ。
それが実際に何かを「殺す」のをはじめてみたのは小学校の二年の時だった。
僕は友達と一緒に学区の公園で遊んでいた。学校は土曜で昼までで終わり、僕らは汗だくになりながらカンケリをしていた。そう、ちょうど今みたいな真夏の昼下がり。
その公園にはいつも三時前になると、犬を連れた売り子のお爺さんがやってきた。お爺さんはまるで僕らを本当の孫のように本気で可愛がってくれ、時にはイタズラがばれて半べそになるまで叱られたこともあった。僕らはお爺さんのことを「わらびのおじさん」と呼んでいた。わらび餅を売っていたから、という安直な仇名だったけれど。
その日も、いつものように愛犬のマメを連れてわらびのおじさんがやってきた。それが僕らにとっては一つの時間のバロメーターというか、前半終了のホイッスルのような、一休みの区切りになっていた。おじさんはまたいつものようにわらび餅を二人に一つくれた。それをほおばる僕らを見ながらおじさんはちょっとだけ悲しそうな顔をした。僕がそれを気取ったことに気付いたのか、おじさんはぽつりと話した。
「最近、マメの元気がなくてねぇ。ご飯もよう食べんようになった」
僕はそっとマメを盗み見た。確かに、マメはくたびれたように半目を閉じて、いかにも億劫な感じで欠伸を伸ばしていた。毛並みは驚くほどばらばらで、尻尾も今まさに千切れてしまいそうなほどにへたれていた。でも僕はまだ大丈夫だという確信があった。なぜなら、死を司る例のアレはまだ恨めしそうにマメの背中で蠢いていたからだ。だから僕は、わらびのおじさんを元気づけたい一心ではつらつと言った。
「おじさん、マメはまだ大丈夫だよ」
「ほう。そうかね。ヒデ君は優しいなぁ」
おじさんは目元を細めて微笑んだ。そして僕の頭を優しくなでながら続けた。
「マメもここまで大事にしてくれる人がおったら、易々とは死ねんなぁ」
マメは答える代わりにぐぅ、と喉を鳴らした。どっこいせ、とおじさんが立ち上がった。

その時僕は見てしまった。
わらびおじさんのアレが、もうほとんど残っていない背中を。

僕は衝撃と焦りのあまり、いてもたってもいられなくなった。
「おじさん」
「ん?」
「おじさん、」
目元が上手く定まらなくて、しどろもどろになってしまう。子供ながらに芽生えた自制心が無邪気さに負けてしまう。
「おじさん、しんじゃうよ」
「え?」
「おじさん、もう死んじゃう」
周りの友達はみな思い思いの会話に花を咲かせている。僕とおじさんの間に流れる空気だけが意識を超越したわだかまりみたいになっていた。おじさんは一瞬怪訝そうな顔をして、その後、平静に戻り、
「ヒデ君」
「そういう事を人に言ったらいかん」
と言って僕の頭を軽くごつん、とした。それから、
「おじさんはまだまだ、君らがおじさんぐらいになるまでは生きておるよ」
と笑ってマメの手綱を手に取り、公園を離れていった。僕はそれをやっぱり誰にも言うことが出来ずに、その日の夕暮れがなるだけ早く来るように願うしかなかった。
その日から一週間、わらびのおじさんは公園に表れなかった。みんなはそれによって遊びのペース配分が出来なくなったようで、公園から次第に足が遠のいていった。僕もそれに追従しないわけにはいかずに、別の遊び場を発掘する作業に入っていった。

それから更に一週間後、あの日の次の日に自宅でわらびおじさんが絶命していたという話を聞いた。心筋梗塞だったらしい。過去に何度もやっていて、医者からも生涯付き添っていかなければならないだろう、と宣告されていたらしい。母と父との会話ではそういうことになっていた。

それ以来、僕は犬を極端に避けるようになった。
きっとそれは幼心に生まれた妙な罪悪感に自分が潰されないようにと編み出した、僕なりの処世術だったんだろうと思う。現に、まだそのトラウマは消えていない。
そんな物思いに耽っている間に、電車は目的の駅についたようだ。各駅でしかとまらないその場所で乗り降りする人はまばらで、今しがた気付いていなければ降りすごしていたところだった。
改札を抜ける。その順番待ちの間にも僕はそれらを見なければいけなかった。安穏と新聞を広げる男性も、ぺちゃくちゃと大騒ぎをする女子高生の背中にも、当然それは蔓延っている。自分でも不思議に思うのは、あれ以来十年以上も人の死期を否応なしに見せ付けられているのに狂わないのかということだった。簡単に慣れてしまえるものでもないし、勿論それを才能だと思ったりもしなかった。
ただ漫然と人が死ぬのを眺めている。
死ぬ現場を見たことは一度もない。でも、「眺めている」というのが一番しっくりくるとは思った。
目的地を探す。真夏の太陽の日差しで、車内のクーラーに冷え切った体が目覚めるようだ。東京では人波が早く立ち止まることさえ難儀である。皆それを思っているはずなのにどうしてかその波は一瞬たりとも消える素振りを見せたことがない。でも僕はきっとそれが人だ、と納得する。死ぬのがわかっているのに、それは皆に平等だと信じているのに焦ろうとする。死が見えないからだ。それでは死が見える僕は何だ?神か、その末裔だといわれれば信じられる要素はごまんとある。
思い直したところで僕はふっと笑った。思い上がりも甚だしい。きっと世の中には同じような事態に陥ってる人がいくらかいるはずだ。別に一神教徒ではないけれど、八百万の神を信じてはいない。たぶんそれは潜水の世界記録保持者が自分はクジラの生まれ変わりだ、と囃しているのと大して変わらない。
目印のぽつんとした廃屋を見つけ、そこの角を曲がると、いかにも私有地のような荒れ果てた道を一筋見つけた。ここらは主幹道路よりだいぶ離れているし、ここを一人で通るのはとても勇気が要った。周りに人家らしきものもそれ以外の必要とされるものもないように思えた。東京のエアポケットここに見たり、と思い僕は少しだけ好奇心をくすぐられた。それにしても、この様な場所が東京にまだ残っているとは。
コンクリに舗装されていない道を久しぶりに歩いた気がした。一歩踏みしめるごとに蒸れた土の香りがふわっと立ち上る。暑さも和らいでいるし、なんだか僕にはそこが落ち着ける場所みたいに思えた。
しかし、それにしても見当たらない。記憶ではあの雑然とした通りを一つ抜ければ、後はほとんど一本道だったと思うのだが。すぐに僕は臆病風に吹かれ、真昼でも木々の隙間になっている薄暗い道を振り返った。案の定人影は見えない。とはいえ、ここで引き返すのも気が引けることには間違いない。とりあえず僕はとぼとぼと歩き出すことにした。
如何ほど歩いたろう、道はどんどん奥に奥に、詰まるところなく続いているように見える。街灯は見当たらない。それほどまでに人々から拒否された場所なのだ、ここは。だんだんと恐ろしさが増してくる。そろそろ引き返すべきだろうか。
と、その時何か左耳でざわつくものを感じた。木々がさらに侵食してきていて、より一層道が狭まっているのだ。僕が聞いたのはその木々の葉擦れだった。思わず立ち止まり、自らを鼓舞しようかどうかすら逡巡していたときにふと気付いた。
「・・・あった」



posted by dd at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 自作プロット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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