2009年04月09日

詩的なもの

僕は征服欲という事象に、メディカルな何かやロジカルな何かが影響しているなんて全く思わない。
アレはただ単に「征服欲」でたり得るものであって、そういう概念であってほしいとさえ思う。
恍惚とか、リビドーとか、高閲されている感じだとか、そう言った類の注釈は全部後付けの理由なんじゃないか。僕はときたまどころかここのところ毎日そんなように感じたりしている。
何かを蹂躙している。
何かを屈服させている。
その感じはいわずもがな皆さん御所則あるところだとは思うけれど、あの時の快感と言ったら何も変えがたいのではないだろうか。
僕はそれが陳腐な修飾に乗っけられて、あたかもとってつけた飾り物の王様みたいになっているのが、ひどくいやだ。虫唾が走る。
あんなものは、修飾しなくったって、いい。
それがそれであるんだから、もうそれでいい。
僕みたいな言葉自体に野次をつける好事家がそんな事を言ってしまったら、僕の言説自体に何にも説得力がなくなってしまうのかもしれないけれど、僕はだからこそ、征服欲なんて言葉を軽んじて修飾することなんかできやしない。
興味だとか、妄想だとか、そういった下卑た感情から、またさらに義憤だとか、高潔なアトラクチュアだったりとか、そういった綺麗事の塊みたいなものまで、全部ひっくるめて、それの上位互換が征服欲なんじゃないだろうか。
僕はたわごとでも過言でもなく本気でそう思っている。
だとしたら、世の中はどこもかしこも制服欲で満たされているのだろう。
そんな世界を僕はともかくとして、みんな泳いでいるのだなあ。すごくすごく、骨の折れるもので、やおら見境もなく踊るしかない、そんな機械じかけの舞踏会みたいなイメージじゃないか。
どうしてだれもがそれを持ち合わせずにはいられないのか。
「好きです」「僕も好きです」そんなものだけで生きてはいけないのだろうか。

末筆

恐れながら。
posted by dd at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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