2007年12月28日

メメントモリ(6)

その言葉を聞いた時に僕は愕然としたものだった。僕の憂慮は的中したばかりでなくさらにその僕の想像を超えるものであった。ほんの僅かだとはいえ舞い上がった自分を僕は殺したくなった。同時に恥ずかしさの余り半畳の暗いロッカーかなにかに飛び込んでしまいたいとも思った。しばらく僕は口を利けなかった。彼女はそれを知らずに僕を饒舌に褒め称えた。そうされる度に僕の卑屈で華奢な精神は老人の肌のようにくすんで、がさがさになっていった。彼女はいつもの厳しい顔をこれでもかと崩して、破顔したまま僕の頭を撫でたりもした。僕はやはり何にも嬉しくなくて泣きそうになってしまった。
僕の嘘吐きはここでも烈火の如く才能を発揮した。
僕のことを、塚本女史のその優しさを無下にしてはいけないなどと思った好君子だと思っている諸兄は残念ながら見当違いである。僕は自分の身かわいさの余りに自分を庇護する嘘をその時吐いたのである。
今咄嗟に上のふみを書いて思うが、僕は自分の損得のための嘘を吐いた事は思っているよりも少ないものだと感じた。
嘘を吐くという行為は自分にとって何なのだろうという、常人には理解されがたいような自問自答を僕は思春期の頃からよくしていた。ああまた一つ嘘を吐いただとか、眠る前に今日は一体いくら嘘を吐いただろうとか、そんな事を考えて次以降どうやって辻褄を合わせていかなければいけないかと思案するためでもあった。是がまた中々に難儀なものであって、この艱難辛苦は同族にしか判らないだろうと思うがしかし、端的に言えばそれは浮気の処理等より余程胆力の架かるものなのである。
さて僕はある有名な家紋の出であると嘘を吐いたとしよう。すると僕は一晩かけてその家系を叩き込まねばならない。誰からいつどんな質問・疑問の言葉が投げ込まれるのか判らぬうちには、ありとあらゆる解決策を準備しておかねばなるまい。どうして僕がその一門だと気づいたのか。その一門である証拠はなんなのか。それらに全て円滑に答えられるような知識を持っていなければならないのである。そうすると矢張り新しい嘘がいくつも芽生える。それにまた理屈をつけて同じ作業を繰り返さねばならぬ。
しかしそうしていくと、何故自分はこうして思案しているのだろうと感じるのだ。そもそも僕は嘘を吐かねばよいだろうに嘘をついて自分自身の首を絞めている。全く可笑しな話である。ならば嘘を吐かぬように生きていれば善いのではないだろうか。しかし僕はそんな生き方が出来るだろうか。嘘を吐かぬ僕の話に魅力の華を添えるものなどあろうか。誰にも好かれないのではなかろうか。誰にも好かれないのならば其れをどうして僕は耐えながら生きられるだろうか。そんな事ばかり鼠の風車のようにぐるぐる回るばかりのうちに静かに僕は眠りに就くのである。
勿論例の類は名誉欲の塊のようなものだが、僕は実際そんな嘘を吐いた事はない。それは諸兄らの夢想する嘘の中で最も想起しやすいものであったから追随させただけである。本当に美麗な嘘と云うものは真の嘘吐きにしかわからないものだとはやはり僕も思う。
誰にも迷惑を懸けることなく誰かを幸せに出来るものがその真実にして美麗なる嘘である。僕は僭越ながらにそれを自分のギレコマシイとして今まで生きてきたつもりだ。誰かを笑わせたり驚かせたりするために自分を貶める嘘を僕は何回も吐いてきたし、もう二度と付き合うまいと思った人間のために自分や他人をフィクションの主人公にして奴らの下賤な知識欲を満たしてやったりもした。僕が吐く嘘と云うものは大概にしてそんなものばかりであった。僕は嘘を正当化するつもりはない。嘘は正当でも異端でもない。それが判らぬうちはまだ成熟した人間として添い慕う事は出来ぬのだろうと思う。
だから僕がその時に吐いた嘘はただ無言であることだけであった。
彼女に褒められようが両肩を掴まれて愛でられようが、僕は無機質に笑顔を貼り付けて黙っていた。それが『嘘』以外の何者であろうか。無言とはひとつの言葉である。其れはその状況を以て、了解だという旨を知らせる至高の言葉以外の他でもないに決まっている。
僕はそれを当然嘘を吐いたものとして受け取っていた。ああ僕はここまで慕う人にすら嘘を吐けるのだ、と愕然とも慄然ともしないままただ諦観した。自分はここまで人間としての最低に触れたのかと思うと、諦めの感情のほうがよほど鼻についた。嘘を吐くということがある種類の人間にとっては最大級の侮蔑だと気づくのはもっと後の事ではあるのだけれども、その時に従った倫理感は親から受け継がれた物であったのだろう。僕は幼かった。
塚本女史は僕を、普段会議室に使うような場所に招き、美味しい紅茶と高級そうな菓子を頂いたのだが当然味は覚えていない。
本当の地獄はそれから数日後に始まるのであった。
posted by dd at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 自作プロット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

作曲ソフトについて

2ちゃんねるDTM板より抜粋。
ちなみに僕のOSはVista




74 :名無しサンプリング@48kHz:2007/12/07(金) 00:21:52 ID:r45WvZ0l
さっきインストールして早速使ってみた、が・・・
起動は出来るんだけど、環境設定をクリックした途端に応答しなくなるorz
トラックウインドウのPatchをクリックして楽器選択ウインドウを開いても、
楽器をクリックした瞬間から応答不能・・・。
他にもいろいろやってみたけど、あらゆる状況で応答不能になる。
なんかもう不安定とかいうレベルじゃない・・・。

何か思い当たる改善法がある方いませんかね?
ちなみにOSはVista、
MIDIデバイスは Microsoft GS Wavetable Synth です。


75 :名無しサンプリング@48kHz:2007/12/07(金) 08:33:53 ID:sevfWGSa
>>74
Vistaではどうあがいても動かないので、あきらめが肝心









オワタ(^O^)/
posted by dd at 01:21| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ぐ・・・

ニコニコのメンテ長すぎだ・・・

うが、ぐ、ぐああ
き、禁断症状が・・・

誰か助けてくれ・・・




いやあ最近めっぽう作文書きませんね。
やっぱり追い込まれないと書けないダメな子なのかしら。

書きたいネタはそれなりにあるんだけど、
どうも中〜長編ぐらいのスケールになっちゃうと
どうしても最初の一行が埋まらないんだよね。

ということで、
誰か一緒に作文書いてみようという人いないかな。
リアルの人含め、Jさんとかでもよかですよ。

二人でリレーみたいな形でやってもいいし、
ちゃんとあらすじ決めて打ち合わせしながらだっていいじゃない。
なんだか面白そうな気がするんですが。

興味のある人はぜひぜひコメントなりメールを。
リアルの人だったら、お互い原稿用紙とかも懐かしくていいですな!


しかし、
えつし(マラ男)くんはいつになったら歌詞を書きあげてくるのかねぇ
期待しているんだけどなぁ(マラ的な意味で


あ、
あと明日スペシャにPC持って行くから、
超人達なんとかして俺の音楽ソフトを起動するようにしてちょ。
報酬は用意する。

もし出来あがったら、
ニコニコとは言わないけど小さなうpロダにでもあげるつもり。
それかまたCD焼く。

白くんイカさんHOあたり頼りになりそうなもんだが。
HOさんはいないのかなー。


さ、
今日は久しぶりに一人酒でもしながら
仕方ないから作文でもこしらえようかね。

ああ曲書きてー。
でも音感も五線譜もないものだから、
作曲ソフトなしには曲を記憶できない俺の脳低スペックすぎる。



かああああ
メルト聞かなきゃ寝れねえのになあああ

俺本格的に廃人コースかも知れんな
posted by dd at 00:37| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

携帯

復活しました
posted by dd at 13:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メメントモリ(5)

兎にも角にも僕は筆を進めた。空白のままでは埒が明かぬばかりか、決まりが悪くて仕様が無い為であった。何をどんな順番で書き出したかは思い出せないが、二枚ほど没にして屑箱に捨ててしまったのはやけに明瞭に覚えている。
僕は作文の授業なんかで書きづまることは滅多に無かった。
これも恥ずかしい記憶の一部で今でも思い出して一人転げ廻るほどに愚かな思い出がある。
それは僅かその頃から一年ばかり前の事だったように思うが、僕は自分が一番愉しかった思い出を纏めろとまた他の教師に言われたのであった。その担任の教師は女性で、それにしてまた厳格で化粧っ気のない素敵なひとであった。僕は理想的な教師といわれるといつもこの人を思い出す。そのまま母性の塊のような人であの頃はまだ若かったように記憶しているが、それはそれは美しい人であった。
僕らが校庭なんかではしゃぎ回って遊んでいるといつも木陰で僕らを見守っていてくれていた。その為に僕らの遊びの危険性は半減し、やんちゃな僕などにとっては物足りなく思う節もあったのだけれど、それよりも何もかもうち投げて甘えられるという恍惚のほうがより勝っていた。僕等は我さきにと新しい遊びを彼女に伝えて褒めてもらおうとし、テストの成績が良い生徒が頭を撫でられるのをまるで、恋人を寝取られた娼婦みたいな厭らしい嫉妬で睨んでいた。
そんな先生に僕は密かに憧れていた。それは恋とか愛とかいう難解な癖に惹きつけられる大人のものではなくて、クリスマス・ケーキの中心にぺこりと座る砂糖菓子のプレートのような、甘いだけの虚構であった。
叱られたくてわざと喧嘩をしてみたり、零点をわざととってから必死に勉強して満点をとってみたり、今思い出すと僕も可愛らしいものだと思う。
その作文の際にも僕は意気揚揚、新進気鋭の趣でそれに取り掛かった。ちなみに僕はその頃から大層肥えていたものだからそれで冷やかされることは日常茶飯事であった。だからという訳かどうか、今となっては染堰も覚束ないが、課題などはやけに張り切って進めたようだ。それで少しでも人心を得ようと思ったのだと思う。依って僕の作文はそれなりの長編となった。少なく見積もっても四百字詰めの原稿用紙に三十は書いた。業務用のホチキスで止められなかったことを覚えているから。
さりとて僕は書き始めてすぐに何かが乗り移ったようになった。今自分が升目を埋めている言葉のひとつひとつが全く見えぬように感じられた。下手の横好きか好きこそものの上手なれか。今でもどちらを信奉すれば善いかなどわからぬが、とりあえず我武者羅に原稿用紙を真っ黒く染めていくだけの作業を僕は狂ったように再生した。
そうして僕が書き上げたものは稀代のフィクションであった。
僕は狼狽した。完全なる嘘を僕は書いてしまった。読み返して視れどもどこにも僕には実態が見えぬ。僕はサッカーなどやっていないし、そもそも試合など行われているのかどうかも知らない。そのくせ僕はどうやらサッカーの試合で大活躍をしたそうだ。我ながらよくもまぁここまで白々しく真っ赤な嘘が書けるものだと感嘆したものだが、そんな事を想い耽っていても仕方がない。けれども慌てふためく僕を余所に終業の鐘は残酷に鳴り響いた。僕は恐る恐るその作文を塚本女史に差し出した。彼女は驚いた様子で大層褒めてくれたのだろうが、全く何一つ僕には思い出せない。
その日の夜僕はまるで寝付けなかった。母に言うこともできなかったし父にも話せなかった。ただ独りで宿題もせぬまま、布団にもぐりこんで震えていたことだけはやけに鮮明に覚えている。その気になれば部屋の配置の何某も全部書き記せるほどに。
翌日、僕に追い打ちをかける様に驚くべき知らせがもたらされた。僕は昼休みの折に職員室に呼び出されたのである。僕はてっきりああばれたのだと思い込んで重い足取りで職員室に向かった。だが気の乗らぬまま塚本女史を探し当てると、彼女はにっこりとほほ笑んでいる。僕は呆気に取られてしまって挙動を忘れてしまったのであろう、塚本女史は僕に座りなさいと促して、昨日僕の書いた妄想長編を取り出した。彼女がその後に僕に伝えた言葉は僕の予想など遥かに超えるほど恐ろしいものであったのである。一語一句間違えておらぬであろう。僕の最悪の記憶の一つであるから。
「あなたの作文が横浜市の代表作文になりました」
彼女は確かに満面の笑みでそう言ったのである。
posted by dd at 00:38| Comment(0) | TrackBack(1) | 自作プロット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

路傍坑の罅

という本を読まされました。
ちなみに「ろぼうこうのひび」と読みます。

別に大して面白くはないんですが、
なんだかすごい引き込まれるお話でありんした。
100Pぐらい読むと、なんだか世界観の違いに
思わずぼーっとしてしまうような。

うん、おすすめはしないけどね。

トリップしたい人にはオヌヌメかも。
大正作家ってこんなひとばっかりだな。


あたらしいプラグインを入れたんだけど、
なんでか知らないがソフトが起動しなくなってしまった。

みっくみくに伴奏を付けてあげたいんだけどなぁ・・・
こいつが起動してくれないと厳しいな。

スペシャの奴らのブレイン総動員してもらいたいね。
なんか昼ごはん奢るぐらいですごいPCに改造してくれそうだwww


そうそう、
今日ひさびさにスペシャに顔出してみた。
奇跡的に人がいっぱいいてね。楽しかったよ。

前みたいにSEEDに人気は集まってはいなかったけど、
ひさしぶりにわからされたww


明日以降ひまだなー。
誰か誘ってくれ。

くれなかったらまたひきこもるわー
posted by dd at 22:15| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

【必読】ケータイについて

イブに酔っ払ってケータイの電池を無くしました。
もう全然記憶ないんで、きっと見つからないでしょう。

いろいろ連絡してくれたひと、
急な用事があるならこちらかPCのメールに連絡してくださいな。

明日か明後日にはおそらく復旧するので。
すんません。


久々の二日酔い。
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2007年12月24日

ちなみに

「こどものじかん」の
みみたんと同じ悩みを僕は今でも引きずっています。


べ、別にいまさらこどじ読み返してるわけじゃないんだからね!!
か、かんちがいしないでよねっ!!
posted by dd at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

メメントモリ(4)

今日帰ってきました。
下のやつは新幹線に乗ってる間に書きました。
ノートパソコンって、ほんっとーにいいもんですね。
それでは。

さよなら。さよなら。さよなら。





彼の存在は僕の人格覚醒においてそれなりの役目を果たした。
ここでいう人格の「覚醒」というのは流行り廃りや、一時的に持つ中途半端な道義心なんてものに一切左右されない高貴な個人の尊厳とする。それは大抵の人間が少なくとも一つは持っているものであろう。その存在を容認するまでには自分自身をサイコリミートせねばならぬわけであるが、その発言は大いにその人間の知識量に依存するところであろうからその存在を意識する人はその中の半数にも満たないと僕自身は思っている。
僕が彼という教師を通じて自己の一部として培ったものは本邦の伝統という精神であった。
彼は―今考えてみればそれはあまりにも稚拙ではあったものの―和というものの高邁さを忘れておらぬ人であった。僕らはみな幼かったのでその真髄に辿り着くまでには至らなかったものの、彼から多くのものを吸収したことは否定できない。彼は大概古くのものを重んじ、また新規参入の文化を卑下した。教室の中には剣玉やら独楽といった昭和以前の玩具がそこかしこに散りばめられており、僕らは雨の日などよくそれを使って遊んだ。彼自身、剣道を善く嗜んでいたようでいちいち物を説くことに剣道の心得のようなものを振りかざした。それは僕らにとってあまりに難解で、僕は今ですらその精神の一行すら諳んじられぬのだから、彼の教師としての力量は低かったと言わざるを得ないのだろう。
教師というものは大概この手の過ちを仕出かすものだと思う。知識を伝授するということよりも何か自分の体の一部を我々に与えようとする。それは人間としては制止がつかぬものだろう。僕が今もし教師になったとしたなら太宰先生の作品を全て読ませ五千字以上のレポートを書かせようとするようなものだ。だから僕は一年ほど前に大学の講師になろうというぼんやりとした目標を失った。僕が知りうる限り教師というものは幼子への強権を持つ独裁者以外に他ならない。教師というものは教科書を理解させやすくする装置であれば好い。少なくとも多感な時期を通過するまでにはその役割だけを真摯に全うすべきである。彼らにはまだ目が見えない。その癖耳だけは多くのものを拾い集めるのだから教師は自分の発言にその人生を全て背負う責任があると自覚すべきである。もし教師が右だと言えば彼らは自分の真上をぼんやりと見つめてこれが右というものの正体かと半ば妄信して生きていくことになる。
教師というものは頭が悪い。知識は持っていても知恵を持っているものはごく僅かである。持っているとしたってそれはミーイズムから生まれた何の根拠も確信もないただの気まぐれに過ぎぬ。だから教師は教科書に書いてあること以外を示唆してはならぬ。自分の生き方を他人に投影させることなど是人間の究極のエゴだと言わずして他に何と表現しうるものか。それをするのは教師の役目ではない。学外で一人の人間同士として社会の渦中で対話すること、その状況の中でしか自分の生き方を他人に逓送することなど出来ぬ。それ即ち読書というものの正体である。
彼はそういった点で矢張り普通の教師であった。典型的な日和見論を振りかざし、また典型的な左翼論者であった。或る時、僕らは社会か国語かの授業で大東亜戦争のビデオを見た。その過激な映像は余りにも強い衝撃を僕らに与え、女子の中には泣き出す子さえ出るという始末である。半身焼け爛れた死体、俗に言われる薩摩案山子、つまり両の足の太腿から下が無いものや、目玉が飛び出ている死体などが列挙されたものでセピアであったのが幸いしたものの児童たちは僕を含め皆戦慄の最中であった。今思えば他にも貧しい農村家庭の様子であるとか、特攻の隊員たちの一日だとかが描かれてはいたような記憶もあるが、何よりそれらの死体群の鮮烈なイメージが僕らの慟哭を最早支配していた。
彼もまた目を細め、苦虫を噛み潰したような顔をしてそれを静かに眺めていたが、ビデオが終わるとまるで頬まで紅潮させて喜々として戦争の何たるかを語り始めた。飛泡末口の如く、彼は僕らの摩擦した精神に塩を塗りこんでゆく。どうだい戦争は恐ろしかろう悲惨だろう、と大の大人に怒鳴られれば僕らはもう恐怖の精神のもとにそれを事実、真理として受け取らざるを得なかった。
彼はその調教が如何に僕らに浸透して居るかを測るために特別な授業をした。今見せたビデオの内容について一枚の新聞を作れというのであった。僕らの変遷は早かった。教科書を使う授業というものが退屈で堪らない僕らはそれを諸手を挙げて歓迎した。
僕もそれを迎合したうちの一人であった。しかし、皆がさらさらと戦争は悪である、死者は全うに弔われるべきだ、軍部の暴走如何とも赦し難き、といった見出しを書き上げていく中で僕の筆は一向に進まなかった。何ともやりきれなかったのである。幼心に僕は自分の見てきたものを確かに伝えられる自信がなかった。僅か六十分も経たぬ時間に何万という人間が死に何十年という時間が経過していったということを僕は書き上げる自信がなかったこともある。ただそれよりも自分は闘って散っていった、兵の事ばかり思い起こされたのであった。自分が死ぬかも知れぬという気持ちで一体どう戦っていったのだろうと、其ればかりが頭の真中にどっしりと座って動かなかったのである。しかし、先生はそれを悪だという。特攻に乗って死んでいく若者たちは軍部に騙さ空しく命を散らせた犠牲者であるという。そんな事よりも軍部の悪を暴かねばならぬ、犠牲者家族の悲しみを汲まねばならぬ。そんな強迫観念が拙い自分の良心にどんどんと圧力をかけてくるのであった。
僕が常識足り得ないものに筆を進めるということは、考えてみればこれが契機だったのかもしれない。
posted by dd at 23:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

ミント・シュール

やあ。
東京支社の忘年会もそれなりに恙なく終了いたしました。

ま、
久しぶりの幹事ということもあって至らない点は
多々あったと思うけどね。
とりあえずみんな楽しんでいたようだからいいか。


ここだけの話だけども、
なんであんなに高くなったかということを
今ぼんやりと考えてみたんだ。

そしたら、気づいてしまった。



クーポン出してなくね?



そりゃ高いよ。高い。
一人頭4000円超えるとかおかしいんだよ、絶対。

もしクーポンを出していればだね、


4000円のコース×10%オフ=3600円


その上、僕の分が全部タダになるわけだから、


3600円÷10人ぐらい=360円ぐらい

3600円−360円=3240円


という結果になるはずだったんだ。
まぁドタキャン組は抜いてもさ。

こんなもの当然みやけ君の責任なんてこれっぽっちもないわけで、
完全に俺の凡ミスなんだなぁ。

ごめんね。
いや、すまんね。

それだけなんだけど。


これからまた今夜もサークル云々で徹夜です。
楽しみだから泣き言はいいませんよ。

そして帰るのは明日か明後日だと思います。
誰かかまってやってくださいね。

あ、ブログのほうはこっちでやると思うので、
旧「誰にも」(みなさんこう呼んで頂いているらしい)には
移行しないと思います。そのへんよろしく。

や、もしかしたら移行するかもだけどね。
その時は連絡しますわ。


昨日は、
僕の個人的な見解ではあるけれども、有意義だったよ。

本心で思ってることをようやく色んな人に言った気がする。
酔っていたから端々で下らない嘘をついたかもしれんが、
核心部分は本気で何ひとつ偽りなく語ったつもり。

みんなの心にどれだけ響いたかは判らないけども、
少なくとも自分の言いたいことは言ったつもりだよ。

「こいつ俺の言ってる意味ぜんぜんわかってねえな」
という人はいたけれども、

それは俺に話術がないことに加えて、
そいつが俺の話を真摯に聞く気がなかったという要素が重なった
ということで、しかたない。

真面目に聞いてくれる人がいたというだけでいいよね。

その中で、一生かな、だれだっけ、
「伝えるためには、伝わるように自分が歩み寄らなきゃ」
という主旨のことを言っていて、

そりゃそうだ、っていうか俺やってるじゃん、
とか思いつつ、
なんか胸を打たれたのを強く覚えてる。

メメントモリは、
読んでくれている奇特な人はわかるだろうけども
もう完全に落書き。

というか、俺が後で自分で読み返す用の作文だからね。
ストレス発散というか。
じゃブログなんかに載せるなよ、という頭の悪い反論が聞こえてきそうだが、

ここは俺のブログだから他人に迷惑かけない限り
好き勝手にやりますよ、とうことは何度も言ってあるから。
あしからず。


今までの作品は少しは自己啓示色があったけれども、
(簡単にいえば誰かに見てほしい、読んでください!というような感情)
メメントモリは本当に偉そうな自己満足でしかありえません。
それ以外の付加価値全くありません。少なくとも俺は意図してはつけてません。

つまり、
読みたいなら勝手に読めば?的な作文なのです。
まぁもちろん読んで頂けるというのは作家冥利に尽きるんだけど。

誰に何と言われようと内容やら逓送やらを弄るつもりはないっす。
ごめんなさいね。


長くなってしまったけど、
その「自分から歩み寄らなきゃいけない」というのは、
正直、作文というジャンルでは難しいんだと思うんだよなぁ。

俺は俺で書きたいものがあるわけだし、
そのためにこの熟語を使わないと雰囲気が伝わらない!とか
この単語を使わなきゃうまく伝えられない!とかがあるから。

そこら辺をうまく易しい言葉に変換できるのが
本当に作文のうまい人なんだろうなと思うよ。
少なくとも俺にそのスキルは今ないと思う。

ただやはり、前も書いたけど、
俺は本を読むということはその人の精神に触れるということだと
認識しているからね。
読む側の覚悟もやっぱりそれなりに要求したいんだよな。

それはエゴなのかと問われたらそうなのかもしれないけども、
本を読む立場の人の「簡単な言葉に直してくれないとわかんねー」
というのもまた一つのエゴなんだと思うんだよね。

その折り合いがどこでつくのかな、という。
易しくするばかりがエゴを昇華する術ではないだろう。
どうしたもんかな。

とりあえずこれからはもっとそれを考えながら書こうと思います。
良かったら続けて読んでやってくださいね。


あ、メメントモリはこのままだけど。
posted by dd at 20:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

メメントモリ(3)

小学生となった僕はそれこそ今の僕が最も卑下するような人種であった。勿論その当時には善悪の判断はおろか、倫理感すらまだ完全には形成されていない時期であったから、そこの辺りが人間としてちと軸をはみ出していた。
そう考えれば人でなしであるというのは僕の生来の才であったのかも知れぬ。
太宰先生は人間失格の中でこう説いておられる。「人間の上下というものは基本的に後天的にはぐくまれるものであります。それは恥辱を知り、辱めを受け、罵られて人は賢くなるのです。しかし私は生まれながらにして、人として出来のわるいほうであったために、その権利すらおこがましいように思うのです。」
全く以て反論する気が起きない。幾らか愚息なれど頭の中で試行錯誤をしてはみたものの、彼の言葉に否定できるものは一つもないのである。この言葉は、僕の精神成長において正に青天霹靂の礎、憧憬爛而の鏡となったのは間違いなかろう。
この文節を否定できるものはあるまい。どうしたってこれは真理の氷山の一角なのであって人間はそれにつき従うことしかできるはずはない。巷で本ばかりに免罪符を求め落果する輩がいるが、あんなものはそこらのタブロイドと代り映えがしない。すべて自分の主張だけを通したいばかりで、太宰先生をろくに読むことすらしていない。物書きとは一概にしてそういうものばかりだ。僕も抜け切れているかは選螺出来ないけれども。
本というものはただ読めばいいというものではない。
不肖僕自身も陳腐な文をだらだらと書いているわけだが、こんな物は、なんでもない。
本なんて言うものは書きたいやつが書くのだ。自分のエゴを我儘を外に認めてもらうたった一つの評価される道具なだけである。音楽なんてものは調子や和音にどうしたって制限される。ボーダレスの音楽なんて本当はないのに愚衆は恥ずかしげもなくそんな事を云う。僕はそんな奴らを見るといつだって、どれだけ飲み過ぎた翌の朝なんかより余程胸焼けがするのだ。
そんな我儘放題にされると人間というものはわりかし豹変する。何でもいいと言われるとそれこそ何もできなくなる。だからこそ彼らは暴走するのである。狂ったように眼を血走らせて、それこそ足は弱い地震のように絶え間なく揺れ利き手でないほうの手は側頭部にいつも置かれており、頭をかいたり机をどんと叩いたり原稿を破り捨てたりする。苛立ちに唇は震え髭なんて板垣なんかより余程汚らしく不精に並ぶ。
そこまでして尚書きたい事の十の一、二十の一が書けたら万々歳なのである。物書きとはそういう世界だ。
綺麗に片づけられた部屋で清潔な部屋着のまま、お高い紅茶と革張りの椅子に座って、当座の退屈を凌ぐだけに読むものの云う事など、一転当てになるものか。僕にはそれがもどかしい。
反落し荒廃しゆく精神を、その瑞々しく溌溂とした精神を持って消化しようという者は今どれだけいるだろうか。僕を含めて、どれだけいるだろうか。
その人間の全てを以てして、何某かの膨大なる記憶を甘受しようという若者は今どれだけ本邦に存在するだろうか。僕がいま危惧するのはそれである。崇高な自分のエゴを高邁たる言の葉に乗せるその情熱に報いようとする人はどれほどのものか。
最近の文人にはその誠意が足りない様に思われる。理解することを放棄した彼らの言の葉など、狂乱も衰退も暴走もない彼奴らの言の葉など、空疎で何も感じられぬ。人間としての情感など半寸も感じられぬ。

ともかく太宰先生の格言は、実に的を得たものである。これを判らぬ人間はいない。気づいている人間と気づかないふりをしている人間がいるだけである。僕も先達と同じ様に出来の悪い人間であった。だからこの現実に気付いていても誰にも伝えられなかったのである。僕は人様にご高説を垂れるような上手の人間ではないから、おこがましくて居心地が悪くなる。
しかしこれは僕の本である。僕が書くのである。僕の狂乱と生命を以てして、必死の叫びを諸兄らに届けることを約束しよう。

小学校も真中あたりのころ、僕の担任は種木という人になった。二年毎に担任の先生が変わる仕組みであった。その人は実に学内からも学外からも一目置かれる教師であったようで、その名を出せば、親は諸手を挙げ教師たちは戦くのであった。僕自身はそれを歯牙にかけることは特にした記憶もないけれど、クラスの中心にいる様な人らはその後光を大変有難く思っているようであった。
種木先生はその人懐っこさから児童特有の鬱陶しいちょっかいにもへらへらと笑いながら、一緒になって遊んでくれるような優しい人であった。僕はその頃、今のようにひん曲がったりもしていなかった分とても内弁慶な子どもであったから、無邪気に先生に絡みつく同輩たちを羨ましく思うばかりで自分からは何もできなかった。

その僕の内弁慶さも母の教育の弊害であった。僕が母の愛を、重責を知ることになるのは当然もっと後のことなのだけれど、贔屓目に見ても僕に対する彼女の姿勢は異常であった。彼女は僕を愛するあまりに甘やかしすぎていた。僕が気まぐれに欲しいというものは全て買い与えたし、僕がこねる駄々を僕自身が当惑するほど長く我慢し、その殆んどを許してきたりした。それは当然幼い僕の増長となり、結果僕は歪んだ世界観を持つことになった。
posted by dd at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 自作プロット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月18日

まぁ形には

なった・・・のか・・・?
とりあえずユレロ・ボレロの一番までアカペラができたからうp。

開始の15秒ぐらい無音だけど、気にしないでちょ。音量にも注意。
yureroborero.wav

歌詞めちゃくちゃ適当、というか仮歌なので気にしないで。
みっくみくのイメージでつけてみた。
もっといい歌詞俺なら書けるね!というやつ大募集中。

そして13MBとかいう破格の重さだからみんな気をつけれ。
携帯厨はパソコンからよろしく。


聞いてくれた人、
ここが良かった悪かったというのを是非教えて貰えたらうれしいです。


んー。
ニコニコの職人たちのようには当然、うまくいかないわ。
そりゃ当然なんだけどね。

でも操作にも慣れてきたし、
大方のいじり方もわかってきたから、
どんどん楽しくなってきた。

きっと時間がたてばもうちょい上手くなる、と思う。
とりあえず楽しいから触ってます。


つーかファイルのアップロード、
初めて正常に作動したな。
これから順次新曲でも貼り付けていこうかしら。

とりあえず、
次のアルバムの目玉の曲なんで、
ちょっとでも興味ある方は是非CD聞いてやってください。

いくらでもあまってますよ。

2ndのときはあれだけ要望があったのに、さみしいもんですね。
アドレス封鎖されたりしてるからそれがでかいのかもしれんがね。

ま、あんまり触れこんでもいないしな。

さて・・・
そろそろ作文でも書こうかしら。
ずいぶんほったらかしだったしなー
posted by dd at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽の揚げ足 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月17日

うるがらら

みっくみくが難しすぎて早くも投げてしまいそうな俺。
涙目どころか普通に泣くぞおい。

なんだこれ、とんとわからん。

いじるのはまぁ楽しいんだけど、
パラメーターとかが難解すぎてよくわからん。
これっていつか上手になるのかしら?


遅ればせながらニコ厨に今さらなって、
メルト聞いてガチで震えてさ。

人生で4回目だぜ、
初めてDirのI`ll聞いた時と、
BUMPのリビデ聞いた時と。
そして林檎タンの丸の内聞いた時以来の衝撃。

確かに、
みんなが職人ともてはやしているぐらいなんだから、
そんなに甘いものではないという自覚ぐらいあったけども・・・

まさかここまでとは。
俺のSSWでのキャリアなんか、何にも通用しないのね。
ここまで歯が立たないとはなぁ。


いや、なんか、
もう少しでつかめるような気がするんだ!



と思いながら10時間ぐらい経過してる。
これで伴奏までDTMに手出したら、
俺留年どころじゃ収まらないかもだね。

しかし、


音楽つくんのたのしーなー。
金がかせげりゃ何にも文句はないのにな。
そこまでの才能さえあれば・・・くやしい。
posted by dd at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽の揚げ足 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月16日

困憊

やあ。
最近にわかに忙しくなって、
ようやく大学生らしくなってきました俺です。

俺が成りたいと思っていた方向の、ね。

いろんな人の電話とかメールとか、
ないがしろになってしまっているけどごめんなさい。

なんか書く前にこんな言い訳何回もしたな、と
思うんだけれども。


忘年会の幹事をやって、
サークルの活動にも顔を出して、
読まなきゃならない積まれた本も読みつつ、
慣れないソフトでまごつきながら曲を書きつつ、
中途半端な作文の下書きなんかやってると、


どうも今までのような純正ニートにはなれない。
でも正直この忙しさは好きだな。
なんか公私ともに東京に出てきてから一番充実してるっぽい。

こんなことを学校毎日行きながらやってるやつもいるんだから、
そいつらはタフだなーと思うよ。ほんとに。

特に、最近めっぽう責任感の強くて、
就活中にも関わらずサークルの切り盛りをしている
別人のような親友の彼には頭の垂れる思いですわ。


僕としては、今、
生きている理由は棚上げしているけども、
死ねない理由はいくつか思い描けるからいいかな。


ああ、
連絡メールを返さないお転婆さん達のために忘年会の詳細を
書いておくからきちんと連絡しなさいよ。

19:00に渋谷のハチ公に集合、
予算は3500円ぐらい、
キャンセル料が発生するのでドタキャンは勘弁。
キャンセルするやつは18日までに連絡しておくれよ。


そして私信ですが。

ぼく、みっくみくを買ってしまいました。
ほんとすいません。今さらニコ厨とかほんとすいません。

まだ忙殺されて触ってもいませんが、
上手くいけばこれからのCDのクオリティが、
市販レベルまで上がることになります。
その分ペースは落ちると思いますがね。

ちゃんと歌詞を歌ってくれるみっくみくのおかげでね!

とりあえず、
「翌檜」をキー整えて、
みっくみくに歌ってもらおうかなーと思ってます。
練習代りに。

出来たらまた連絡するけれども、
これは期待してもらってもいいかもよ。
俺が投げなければなw


思いのほか長くなってしまった。
それでは。
posted by dd at 22:27| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

馬鹿どもよ

ひとつだけ言っておこう


誰かに分かってもらおうと思うなら


いつ
どこで
だれが
どうして
どのように

それを書かなけりゃわかるものもわからないってもんだよ

どうしてそんな事すらわかんねぇのかなあ

そこまで教育受けてきてないっけかぁ?
かわいそうにね
ごめんね



あー
酔っぱらったときに
馬鹿を見るのが一番ムカつくかもしれない

この世界にグランドーレなフルエンステイトとか
見てるひまもないし
見たくもないのに

馬鹿は何で生きているんだろう

ほら、
考えてごらん精一杯


おまえは何で生きているのか


growdetrが足りねぇんだよ
どうせ行きたいから生きているんだろ?

もうそれでいいよ

だからカスとか愚図とか言われるのにね

でも考えないならそんなもんだよね

たぶん、
途中で「もういいじゃん、飲みゃあって」
とかいう奴は

俺の自慰行為より意味がないものだろうよ





わかんねぇんだろうな

そりゃそうだ



だって馬鹿だもんなおまえら
posted by dd at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月15日

メメントモリ(2)

僕は生来の嘘吐きであった。
それは、人々が先天的に与えられる何某かと全く同じようなもので、例えば運動の勘であったり絵心だったりするように、誰の責もなく気儘に犯されて生まれるものだと僕は感じた。
僕は生まれ持って絵心というものがとんと見当もつかぬ。僕にはゴッホの絵も誰かが話ついでに珈琲でもすすりながら、ナプキンに描く絵とのその美術性の違いが判らぬ。僕にはどちらもただの線と点と色と、ほんの少しのリアリティと濃さの違いを以て、違う芸術もしくは陳腐な模様としか判別されない。
人はそれを色盲だと笑うか。笑えば善い。僕にはその種類の能力がないのだから卑下されて然るべきなのである。

だが僕は生来の資質素質の類は後天的に成長もしくは縮小、歪曲されることを知っている。僕は齢二十年と少し、幾らかの人間を見てきたけれども、その誰も僕より嘘吐きであった試しがない。それは僕が奇嘆な才の持主であったと考えることも出来るが、僕はそんなに大それた人間ではないことを僕自身で識っている。証拠に僕は僕ほどではないにしろ嘘をたらふく吐く人と何人かそれなりに懇意にしている。それはとても卑小な嫌悪すべき同族への慰留感情であるのだが、本能が理性を担ぎ揚げてどこかにほっぽり出してしまうものだから、僕はそれに従わざるを得ない。僕の最も得意な言い訳の一つは是である。嘘吐きはみんな同じ匂いがする。誰かの言葉の尻っぱしを遠慮もなく鷲掴みにして、それならばという魂胆が見え見えで、厭らしい。

だが彼らはまるで幼子の寝小便のような儚く萌える一夜の夢、可愛らしい嘘しか吐かぬ。そんな嘘しか吐けない。嘘を吐くのに必要なのはある一定量の諦観である。彼らにはまだ度量が足りぬ。ああ僕は今嘘を吐いたと思う瞬間に、その刹那、他人を排除できるかどうかの判断でしかそいつが大嘘吐きか雑魚かを識べられるものはない。周りの稚魚はこの辺りが浅はかで、僕は溜め息ひとつ漏らしてまるで意中に無くなる。
僕が自らをれっきとした嘘吐きだと自覚し、また尊厳とは成り得ないまでも一つのある種僕を他人と判別させる特徴として認可させることが出来るのには大きな一つの分岐点がある。

僕の家族は平凡な物である。下層に尋ねれば羨望の眼差しを貰い受けることになるだろうし、上層の者にとっては取るに足らない小さな家であったろう。父は何と言う事のないサラリィマンで、その誠実さを以て小さな会社で大人しいしかし安定した給与を受けて、真面目にそれを家に送る人であった。僕は幼い頃にまるで女児のように可愛らしいと囃されたりしたものだが、成長期と青春期を経る間に自分でも頷くほどに父と瓜二つになった。僕は別段それを厭うことはなく、また自慢に思うこともなかった。それは今でもない。そんな父は世間一般から見れば、真面目で正直な働き者としか見られないだろう。ユーモアもそれなりに備えた可愛らしい人なのだけれど、きっと家族にしかわかるまい。
母は簡単に描写すれば、幼い人だった。
無知で、それでいて自己主張があり、物を深く考えることの出来ない人であった。物心着いて直ぐにはそれをもどかしく思ったりしたものだが、ほんの少しの成長の間に僕はそれを無機質な性質の一種だと理解するようになった。彼女は甘かった。特に僕に対しては、創作の母などより余程ねんごろに愛を与えた。それが僕の世間知らずを加速させることになったのだから、僕は感謝しつつも矢張りそれを恨まずにはいられない。僕の嘘を吐く才はそんな環境の中でむくむくと肥大していった。今思えばそれはパズルのように、難解に見えながら実に単純に方程式に嵌るのであった。
posted by dd at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 自作プロット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

たらいま

二泊三日の慶応散策の遊説から帰ってまいりました。

いやー疲れた。
普通にすごい疲れた。

でも、
どうしてあそこはあんなにも楽しいんだろう。
久我山なんかほんとゴミにしか見えない。

まぁ学生街だってこともあるんだろうけども、
トロい学生があんなにも少ないとは。

そして女の子がやにわにかわいすぐる。
すれ違う人みんなに恋してしまいそうだよ。

確かにみんなすごい若いし、
あの根拠のないキラキラは確かに存在しているんだけど、

何というか弁えてるよね。ちゃんとさ。
身の程を知っている感じがする。
賢い人たちこそ余分に殊勝になるもんなんだなぁ。

そんなことされたら、
おじさん立つ瀬がないっていうのに。

PCもノートになったことだし、
これからは基本的に日吉に住もうかしら。
有線LANだけど借りればブログ書けるし。


そうそう、
ようやくニコニコをある程度見たんだけど、

初音ミクたんてらかわゆすだな。
てゆうか、正直バカにしながら見たんだけど、
歌いいじゃん。普通に。

メルトとかおれ鳥肌立ったよ。
JUDY AND MARRYのYUKIに歌ってほしい。
あれをDirが歌ってたら俺のフェイバリッドになったのは確実。

というか、
初音ミクたんの音楽生成ソフト本気でほしいんだけど。
あれってやっぱ難しいのかね?
そもそもいくらぐらいするものなのかがわかんない。

でもあのソフト使いこなせたら、
今までのCDのクオリティなんかあっという間に置き去りにして、
俺の想像どうりの曲が書けるんだろうに。

ああー欲しいなー。
でもやっぱプログラミングとか知らないと駄目なのかな。
ガチで欲しいよー。
誰か情報持ってるやつ何でもいいから教えておくれよ。

ああ、ミクたんに会いたいわ。
俺も歌ってもらいたい。俺の曲。
ニコニコにうpとかはするつもりないけど。


そして最近ものを書く気力がないや。
こんなんじゃダメダメなんだけどな・・・
一つ短編でも書くかな。好き勝手に何にも考えずにさ。

最近の充実っぷりがいけないのかもしれない。
遊んでくれる人はいるし、
酒も飲ませてくれるし。
もっとストイックに自分を追い詰めなきゃいかんのかも。


でも今はミクたんにただ会いたい・・・
posted by dd at 15:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月12日

メメントモリ

僕は嘘吐きだ。
だがしかし、僕は自分の嘘を吐くことを恥ずかしく思うところはない。勿論、誇るところも殆どないけれど。
それが僕を構成しうる特徴の一つであるならば、僕はそれを愛でこそすれ、阻むことなど考えてはいけないのだ。
それは太陽が昇れば沈むような、その日にあたる自分が居るのならば影がそろりと伸びるような、そういう存在同士でなければいけない。
僕が嘘を構築したように、嘘が又僕を構築する要素である。それを否定することはすなわち、僕の生き方そのものの足取りや記録というものをそのまま否定することになりかねない。
こうして僕は生きていかなければならない。嘘と云うジレンマを抱えたまま、それが而して僕の中に融合してまた僕となる。
幼き子が母親の乳を吸って体躯を羽ばたかせるように、僕もまた嘘を齧りながら皺を重ねていかねばならぬ。

これは僕の遺書になれば善いと思う。
だからこれは僕の正直で書かねばならぬ。高が二十を其処らか超えたばかりの若輩者に書けるのかという危惧もあろう。しかし、書けるのかではない。書かねばならぬ。書かねばならぬと僕の正直さが伝えている。
しかし全体、僕の正直さとは如何なる性質を含むものであろうか。僕は自他ともに認める嘘吐きである。数え上げれば枚挙に暇がないほどに、僕の人生は嘘で塗り固められていると言ってもよい。
その僕の正直さとはそれそのもの自体が存在し得るのだろうか。
存在させなければいけないのだろうと僕は思う。今まで述べたように僕の人生とは嘘と共に歩んできたものであって、それを否定することは僕を否定することになるのだから、僕はそれを存在丸ごと飲み込んでやらなければ、この書の意義は失われる。
ならば僕はそれをどこに求めようか。嘘とは立脚されるものである。発生し派生し対象に影響を及ぼした上で、最後に認識されなければ嘘というものは機能しない。僕ひとりの関係では僕は嘘を嘘として機能させることが出来ぬのだ。
嘘というものは不思議なもので、それ自体では何も実態を持たぬ。それが現実、思考世界にしても精神生活にしても、社会・世界を含む人間の中に確りと息づき、その人間がそれに呼応しなければ嘘というものは僕らに認識されることはない。逆に言えば、そうすることによって漸く嘘は嘘として、僕等に目視されると言っても善い。
ならば嘘つきの僕が正直になれる、そんな矛盾が等記号で証明され得るのではないか。それには深遠な井戸の佇みの如く、僕の中に僕は深く潜って逝かねばならぬだろう。僕は僕と契約を結ばねばならぬ。嘘を吐く僕とそれを認める僕を、もう一人の僕は観察し記録せねばならぬ。
これを自己啓発の類と邪推する諸兄もあるだろうがそうではない。この流動の断続に他者は存在することを許されない。僕は僕として僕の嘘を見破りその僕の嘘を包んでやらねばならないのだ。
ただ観察者として諸兄らは僕のあくまでも外側に居らねばならない。僕が正直にものを書くとはそういうことであろう。

これほどまでに僕が何故他者を拒みつつ、他者でいることを強要するのか。それはまた僕の嘘に一つずつ解き解して遣ることでしかわからぬだろう、否、それでもまだ確信は持てぬ。
ただ僕は僕の正直なやり方で嘘を連ねて往かねばならぬ。
メメントモリは燦々と僕の中で燃えている。ああこの握漠とした精神を誰にも犯されてはいけない。さらば僕は始めねばならぬ。
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三人の女

お琴は夕闇の是非を問うていた。
如何して人間というものは夜になれば疚しい事が出来るやもと妄信しておるのだろうか。灯りが無くなるから、誰も自分だと判るまいと思うのかも知れぬ。それなら、誰かの仕出かした手先の悪さを枷にして、有耶無耶にしたいと願っているのだろう。ならば女は惨めだ。陰溂で卑猥で、浅慮克明な浅はかな生き物に成り下がる。畜生とまるで同じように、誰の手かも判らぬまま辱められ弄られ、誰の陰茎とも判らぬままそれを咥え、誰とも判らぬ男を自らの嬌声で悦ばせているのか。否、まだ畜生の方が勝手がいいかも知れぬ。
夕暮れになると何時も太股の内側が疼いて堪らない。あけび姉さんに相談したりもしたけれど、姉さん曰く、古来から窪みは埋められると決まっている、それと同じさ。お琴はまるで狐に化かされたみたいにはたと覚えが付かなくて、姉さんあたしは馬鹿だから、判らなかったわと聞き返した。あけび姉さんは八の字に垂れた両眼を益々深く沈めて声を出さないまま笑った。お琴は善く、そうされると旅籠中に笑われているような気持ちになる。自らの愚鈍さと浅薄さを合財見透かされているように思うからであった。それは年端も往かぬ財閥の御曹司なんかに下手糞に愛されるよりも余程恥辱に塗れたものの様に思えた。お琴が奉公人みたいに間誤付いていると、あけび姉さんは煙管を口に含んだまま、穴には棒が入って来なきゃあ塩梅が利かないようになっているの、と言った。お琴はそれを聞いた途端、姉さんの謎掛け問答を理解したつもりになり誇らしげな気に体を浸食された。そして頭の真中が、薔薇の花弁を一枚ずつ解かれていくようにふやけて逝くのが体感されて情に濡れた。









なんだこれ?
いやきっと続きません。
気に入ってはいるけどさ。
posted by dd at 01:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 自作プロット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月10日

ほとほとと

年の瀬も近づいてまいりました。
皆さん、クリスマスイブ・年の瀬と畳みかけてくる
このイベント群を如何様にして乗り切られるのでしょうかね。

ま、僕にはまるで関係がありませんが。

それでも、
やっぱりアベックでお過ごしになる皆さんは、
それはそれは楽しみでしょうがないんでしょう。

気持ちがわかる分だけ、
寂しいとは思いつつも僻む気持ちにはあんまりなりませんな。
少なくとも僕は。

女性陣は、
迫りくる聖夜のために、
着飾るお召し物を探すのにいっぱいいっぱいでしょう。

男性陣は、
迫りくる性夜のために、
デートプランやらプレゼントやらでいっぱいいっぱいでしょう。


でも、
それが楽しいんだよねぇ。

寒い中駆けずり回って、愛する誰かのために、
自分のできることを精一杯やろうぜ、みたいな
あの自己満足。

僕もいつかまた、
あの気持ちを同じように味わえる日が来るのでしょうか。
怪しいもんだ。


かくいう僕も、
忘年会のお誘いを嬉しいことにいくらか頂きまして。
年末が少しずつ楽しみになってきたもんですが、

そういうイベントって、
本当に各人の性格が出るんだね、しみじみ思いました。

僕のいるサークルでは、
イベントをやるということがとても低い認識でね。
まぁもともと和らいでいるというか、
ほんわかした女性主体の空気が流れているもんだから、
それも当然というか、別に全然悪いことではないんだけどね。

いつも議題が出て、
そこで雲隠れしてしまうというね。
僕には物足りないような感じだったんだけれども。

一年生やら若い子たちが頑張ろう、としていてね。
応援したくなるよね。
旧態依然とした古い仕来たりを破壊するのはいつも、
そういう若い力なはずだ。


反面、
スペシャのやつらのあの迅速さ、というか結束力はもう、
他の奴らも尊敬すべきだとすら思えるね。

当然のように、
暗黙の了解の中で幹事がするっと決まっていて、

みんなの意見を聞いて、
しっかりと準備をするというのがすごいね。

泣き言ひとつ言わず、
店を予約して、日程をやりくりして、時間を融通きかせて、
きっちりとすべて恙無く終えれるという、
HOさんのあの幹事力・・・素晴らしいね。

夏の集まりのときなんか、
店を貸し切りにして30人近く集合してたもんな。
凄すぎだろ。

幹事さんの力は確かに大きいんだけれども、
各人のレスポンスの速さも気持ちがいい。

mixiで一時間そこらの間に20件近いコメントがつくなんて、
僕ははじめてみましたよ。

だから僕はあそこの雰囲気が居心地がいいのかもしれない。
ジャンルが認知されにくいだけで、
彼らの行動力とポテンシャル、そしてメンタルの統率は、
筆舌に御しがたい。

残念ながら、
彼らを超える本気と集中を、
僕はほかの誰にも見出したことはないのだよ。



さて、


僕もひとつぐらい忘年会を企画しようかしらね。
posted by dd at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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